zalumikanの日記

一歩前へ

普通ってなんだ

普通の人々という映画を見たので感想を書く。

 

映画は淡々と日常が描かれていて、ミステリーな要素はないように見える。しかし、改めて思い返すと。なぜ?となる場面が多かったりする。僕らが特に違和感なく受け入れている日常、常識こそミステリアスなのだということ、現実は小説より奇なりということが描かれている。
 
普通の家族に、兄の事故死という不運が加わっただけのようにはじめは見えるが、それだけでは説明がつかないほど弟は苦しむ。
結論から言うと、母は兄も弟も父にも関心がなかった。ということが最後に明らかになる。問題は、弟も父も(たぶん兄も)そして母自身も「そんなはずはない」と思い込もうとしていたところにあるんだと思う。
その小さな嘘(思い込み)が波及し、弟の自殺という事件に行き着いたのだろう。これは僕の解釈だが、最後母がこらえきれなくなって泣いたのは、必死で守ってきた最後の嘘の砦が崩れたということだろう。つまり、自分は夫にも子供にも関心がなかったと言うことに気づいたという場面なのではないか。
映画は、バッドエンドのようにみえるが、これからはそれぞれが自分と向き合い、かつ、他者とも向き合っていくという、希望のようなものを感じる。どこか悲しいのに、安らぐカノンで始まり、カノンで終わっている。
 
ちょっと話を掘り下げてみる。なぜ「関心がなかった」という一見小さな嘘がそんなことにつながるのだろうか。
関心がないものに関心を持とうとするとどうなるか想像してみる。
その対象に憎しみを感じる。すると、関心があるはずなのに憎んでいるという葛藤がでてくる。それを解決するために、対象を関心があるものに変える必要がでてくる。その対象自身も関心を得るために、自らを別の何かに変える必要がでてくる。
すると、
あなたに関心がある。だからあなたはあなたのままではいけないという矛盾。
わたしがひとから関心を得るためにはわたしのままではいけないという矛盾。
が出てくる。
後者の「わたし」の日常はつらい。多くのひとから嫌われているように感じることになる。「わたしがきらい ≒ ひとからは嫌われるに違いない」から。
わたしはわたしが嫌いだが、他の人はわたしが好きである。なんてことは信じられない。わたしにはカラスが黒く見えるけどみんなはオレンジ色に見えるらしい。なんて理屈が通らないのと同じように。
 
話を、映画に戻す。兄は実際水泳が好きだったかどうかさておき、優秀な成績を残し、母の関心を得ることができ、それでなんとか家族が崩壊しなかったのだろう。要するに、母は兄ではなく兄のトロフィーに関心があったのだ。
兄が死んだとき、父のスーツの色を気にかけたことからそれがわかる。
残酷な事実なので、母も父もなかったことにしようとしたができなかった。
そして関心のなさ?は弟に向かう。嘘を維持するためには、兄が関心を得たように、自分も水泳でいい成績を残さなければと思っているからだ。
しかし、弟は水泳が好きではなく才能もないので無理だった。嫌いな水泳をなぜやらねばならないかという脅迫観念に本人も気づいていない。そして決断しやめる。でも、関心を維持しなければならないので、続けているように嘘をつく。母は嘘をついた弟を責める。
 
夜に帰るため、空いた時間を、どんな気持で過ごしただろうか?
弟は、家族の中で初めて、母は自分に感心がないと気づく。そして父も母も気づく。
 
ところで。この関心がある。という嘘は、珍しいのだろうか?
普通なのだろう。親が子供に関心がないなんて残酷?
たぶん普通なのだろう。すべての母親は子供を愛するものである。という、母性神話のほうが普通ではない。
 
それほど関心がなくても、私の子だからこんなもんか。と程々にあきらめ受け入れたり、親ではなく祖母や先生が受け入れたりして自殺にまでつながることは少ない。映画では、心理士が友人となり助けとなった。現実では、本が歌が助けてくれることもあるだろう。
 
この、母性神話?のような「普通」はどれだけあるだろうか。
 
話は飛ぶが、あんなに普通にみんなが吸っていたタバコは、簡単に異常となった。覚醒剤のような扱いを受ける日も近そうだ。
でも、地球が回っているという「普通」は人類が滅亡しない限り普通だろう。
でも、僕らは同じ時の流れで生きているという「普通」はどうやらそうではないらしい。と物理学者が言っている。サンタクロースはどうやらいないらしい。
 
 
眠くなったので寝る。